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1999年5月

1999年5月 5日 (水)

カツラ考

 久しぶりにHPを更新したので何を書こうかな?と思い、色々と考えてみたがネタがない...。何か素晴らしいネタはないか、と思いながら職場に出勤しようとした。するとネタが転がっていた、いや乗っかっていた...。  

 以前、最寄の駅から職場へのアクセスについて書いたと思うが、その最寄駅に市バスのターミナルがあり、そこで何ヶ月か前から見かける緑色の警備服を着た人(ちょうど場外馬券売場にいるJRAの警備員みたいな...。)について書きたい。その人は年の頃なら40~50歳くらい、中肉中背で緑色の警備服を着ている以外はあまり気にならなかった。ふと、「江戸川乱歩の「緑衣の鬼」を地で行くような人だな。」、と思った。

 ところがそんな「緑衣」も何回か見ていると慣れてくるもので、ある日の通勤途中にいつもの視線を少し上に上げた途端、あることに気がついた。そう、髪型が全くと言っていい程、変化していないのである...。それによく見ると、前頭部の生え際やボリューム、見た目の質感など、「不自然」を通り越して一言で「怪しい...。」と言いきれる程だった。

 そこでふと考えてみた...。人はどうしてカツラをかぶるのだろうか?頭が禿げているのがイヤだから、それとも...?でも、「禿げ」は人類の進化の一端なのだから、別に禿げていても生物学的に言えば大丈夫だと思う。その証拠にサルとヒトとを比較して、どちらの体毛が多いか?本来、体毛は生物の皮膚を保護するための「緩衝材」のようなものであって、サルからヒトへ進化して行く際に、生物にとって重要な器官である頭部や生殖器等に残るだけである。頭部を保護するための頭髪が無くなる、すなわち「禿げる」ことは頭部の皮膚が「緩衝材」である頭髪を必要としないほど強化されている、ということである。

 さらにまだ考える...。何故、「禿げ」はイヤなのだろうか?「他の人と違うから...。」、「珍しいから...。」、「笑われるから...。」等など、色んな理由が出てくると思う。どうして、「禿げ」も「個性」の一つとして見られないのだろうか?恐らく、「禿げ」を個性としてみなさず、他の人と違うということだけを強調された情報と上っ面でしか物事を判断できない国民性にも問題があるのではないか、と思われる。

 それでも考えることは色々とあるが、これを書いている自分自身が「緑衣の鬼」ならぬ「カツラの鬼」や「禿げの鬼」になってしまいそうだ。やれやれ...。

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